命がけの荒行を達成し、現代の「生き仏」とすら呼ばれる僧侶・光永圓道(みつなが・えんどう)師のもとには、多くの悩める人々が説法を聞きに訪れる。「定年後」に活きる説法をお届けする。
大行満大阿闍梨(だいぎょうまんだいあじゃり)──字面だけでも凄味が伝わってくるが、本人はいたって軽やかだ。滋賀県のおごと温泉駅から車で市街地を抜け、約15分。比叡山麓の里山にたたずむ覚性律庵を訪ねると、法衣に身を包んだ光永圓道大阿闍梨が迎えてくれた。
地球1周と同じ約4万kmを、7年かけて徒歩で巡拝する「千日回峰行」を満行した僧侶である。日本仏教で最も苛酷といわれるこの修行を満行した者だけが、大行満大阿闍梨と呼ばれる。平安時代から1000年以上続く千日回峰行の歴史のなかで、織田信長による比叡山焼き討ち(1571年)以来、ちょうど50人目の満行者となった。
「私の場合は夜中の2時、いわゆる丑三つ時にお寺を出発、比叡山中に点在する250か所ほどの霊場を巡拝して朝8時頃に戻ってくる毎日でした」
どうしてわざわざ、真っ暗な夜に巡拝するのか。それも草鞋に、提灯で。
「千日回峰行は『仕事』ではなく、自ら発心して取り組む行です。私には、僧侶として欠かせない日々の『勤行』がありますので、お経を上げることやお寺の環境整備をないがしろにして、回峰行だけを行ずるわけにはいきません。ですから回峰行を行ずるのは、日中の勤行を終えた後、必然的に夜になってしまいます」
7年にわたる千日回峰行のうち、1~3年目は7里半(約30km)におよぶ比叡山の山上山下を、毎年100日間続けて歩く。4~5年目は200日連続。その後、命をかけた堂入り(※千日回峰行の6~7年目に行ずる命がけの行。9日間にわたって明王堂に籠り、飲食せず不眠不休で不動真言を唱え続ける)を経て、延暦寺支院の赤山禅院、京都市街の神社仏閣まで足を延ばす行程になると、毎日21里(約80km)を草鞋で歩く。この間の睡眠時間は、4時間程度だったという。
千日回峰行を満行した大阿闍梨は「生き仏」と呼ばれ、老若男女の迷いや苦悩に相対してきた。なかでも「定年後」の悩みには、千日回峰行の「満行後」の経験と照らし合わせた説法を行なってきた。新刊『心を掃除する』を刊行したばかりの光永師が、定年後をよく生きる知恵について、説法する。