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徳川家康の天下を盤石にした関ヶ原の戦いの「戦後処理」 大名の半分近くが淘汰、600万石を没収・再配分

西国大名が束になっても及ばない「財力」を手にした

 関ヶ原の戦い後の論功行賞に際し、磐城平(現在の福島県浜通り南部)より南方の東日本の太平洋岸と近江、越前を徳川一門と譜代大名で固めたことで、全国の物流ルートの半分近くを掌握。それに加え、全国の金山銀山と京、堺など主要都市を直轄化したから、その財力は西国大名が束になっても到底及ばない規模に膨れ上がり、それが家康の自信にもつながった。

 歴史に「if」を持ち込むのはタブーと言われるが、仮に関ヶ原の戦いが起きなければ、家康が天下を取るまでもっと時間がかかったはず。所領の再分配と大名の大規模な配置換えをするには、大名の半分近くを淘汰する必要もあった。

 そのためにはやはり、天下分け目の大勝負が不可欠であり、親三成派と反三成派の対立がなければ、別の誰かをライバルに仕立て上げたはず。誰なら三成の代わりを務められたか、想像を膨らませるのも一興である。

【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近刊に『featuring満州アヘンスクワッド 昔々アヘンでできたクレイジィな国がありました』(共著)、『イッキにわかる!国際情勢 もし世界が193人の学校だったら』などがある。

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