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【ニッポンの長者番付70年史】松下幸之助、土地長者が上位の時代から、バブル崩壊を経てサラリーマンが日本一になるまで

「長者番付」は時代を映す鏡でもあった(左から松下幸之助、タワー投資顧問運用部長の清原達郎氏/共同通信社)

「長者番付」は時代を映す鏡でもあった(左から松下幸之助、タワー投資顧問運用部長の清原達郎氏/共同通信社)

 1947年から1982年まで続いた「高額所得者公示制度」、いわゆる「長者番付」の公示廃止から20年超が経過した。モノづくりが元気な頃からITバブルまで、その上位の顔ぶれを見れば時代が見えてくる。長者番付の歴史について、財閥評論家の菊地浩之氏が解説する。(文中敬称略)

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「長者番付」は、全国47都道府県の税務署が申告所得額の高額だった者を公示する「高額所得者公示制度」の通称。1947年に開始され、1982年度までは収入額、翌年度からは納税額を公示するようになり、その一覧が新聞各紙に載ると庶民は遠い世界のことのように感じつつも面白く読んだ。

 1955年以降、松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助が首位を独占していたが(1960年度を除く)、1964年度に大正製薬の実質的な創業者・上原正吉が初の首位になり、以後3連覇を果たす。1964年の東京オリンピック開催に向けてインフラ整備が急務に。その流れを受けて1960年代は巨大企業の創業者が長者番付を席巻した。

 1969年の土地税制改正で、以降は土地売買の一発屋が長者番付のトップに躍り出た。1972年には田中角栄が『日本列島改造論』を発表。同年度の番付上位100人のうち97人が土地長者になり、番付は長谷川萬治が1973年度から3連覇。東京都汚水処理場建設のため、所有する東京都江東区の土地を売却したからだ。

 1983年度に所得税法が改正され、翌年度の長者番付上位100人のうち土地長者は32人に減少。土地長者の後退で松下幸之助が16年ぶりの首位になり、推理作家の赤川次郎が8位に入った。『週刊少年ジャンプ』の人気漫画家(『キャプテン翼』高橋陽一、『キン肉マン』ゆでたまごの嶋田隆司と中井義則)が100位以内に入ったことも大きな話題になった。世界が同時に景気拡大に向かうなか、江崎グリコ社長誘拐事件で身代金として国内最高額となる10億円が要求されたのも1984年だった。

 バブル崩壊後、のちに「失われた30年」と呼ばれる低成長時代に入った日本。1994年は土地長者が1991年の半数以下になり、上位100人のうち土地長者が36人、株長者が32人。1994年度首位の多田精一は「関西のタクシー王」と呼ばれた故・多田清の長男。相続したグループ会社の個人名義の株式をグループ会社に売却し、26歳という史上最年少で長者番付トップとなった。

 最後となった2004年度の長者番付首位はタワー投資顧問運用部長の清原達郎。サラリーマンで初の首位となった。前年度に102%の高利回りを実現した成功報酬で首位になったとみられる。

取材・文/小野雅彦

※週刊ポスト2024年3月8・15日号

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