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島崎晋「投資の日本史」

明治期の「台湾統治」の舵取りを担った児玉源太郎・後藤新平の「アメとムチ」政策 抗日ゲリラを沈静化させるために「アヘン専売化」を採用した意味

後藤の死後に起こった「霧社事件」では多くの血が流れた

 特に平地より平定の遅れた山林地帯では、台湾原住民に日本人への同化を強制。さらに先住民が狩猟や焼畑農業を行なっていた山林を、地主のいない土地として国有化を強行したことが決め手となり、後藤死後の昭和5年(1930年)10月27日、台湾中部の町・霧社(現在の南投県仁愛郷)において、同化政策の最大の成功例と宣伝されていたタイヤル族(セデック族)による組織的な反乱が勃発する事態となった(霧社事件)。

 2011年に制作された台湾映画『セデック・バレ』はこの反乱の首謀者モーナ・ルダオを主人公とした作品で、監督は日本でもヒットした『海角七号 君想う、国境の南』(2008年制作)と同じウェイ・ダーション(魏徳聖)。日本統治時代に強い関心を抱く監督だが、同じ監督の作品でありながら、そこに描かれる日本人像は好対照というより両極端に近い。

 霧社事件では日台双方で多くの血が流され、陰惨な事例も事欠かない。後藤の精神と政策が変わらず継承されていれば起こりえなかったであろう事件だけに、よけい残念に感じられる。

 今日の台湾では霧社事件について語られることは少なく、全体として親日傾向が目立つが、その要因としては後藤の功績が半分あるのではないか。残りの半分は、中国国民党(中華民国国民政府)による一党専制支配下、すなわち蒋介石と蒋経国父子による独裁体制下(1949年5月から1987年7月まで世界最長の戒厳令)の白色テロや言論弾圧があまりに酷く、日本統治下のほうがまだましという感情もあるだろう。絶対評価でなく、相対評価の面があることを見落としてはならない。

■前編記事:近代日本が欧米列強に対抗するために取り組んだ「台湾統治」は困難続き 植民地化1年目には日本の総予算の33%を投入、フランスへの売却案も検討された

【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近著に『呪術の世界史』などがある。

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