相模鉄道の横浜駅は、JRなどと少し離れた位置に駅舎が立地している(2022年9月撮影:小川裕夫)
底流にある関東大震災からの復興計画
横浜復興における全権を任されていた牧は、復興にあたり横浜駅の中央停車場計画を策定する。ここでの中央停車場とは、その都市の「中央駅」、いまならターミナル駅というような意味だ。横浜駅で東京駅レベルのスケールを目指す、いささか大仰な計画だった。だが、牧は震災復興を理由に、ゼロから都市計画を練るチャンスを逃さなかったのだ。
東京では明治期から中央停車場計画が浮上し、大正期に東京駅として結実していた。横浜には中央停車場がなく、あちこちに主要駅が点在していたために都市の核がなかった。
都市としての核をつくるため、牧は横浜駅の中央停車場化に取り組む。こうした考え方を採用したのは、牧が後藤から薫陶を受けていた影響が大きい。そして、牧が構想した横浜駅の中央停車場化が、今日に至るまで続く横浜駅工事の底流にあることは否めない。
横浜駅の中央停車場化により、官営鉄道(現・JR東日本)各線のみならず、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)・東京横浜電鉄(現・東急電鉄東横線)・横浜市電などが横浜駅に集約された。さらに中央停車場化に合わせて、湘南電気鉄道が横浜駅に線路を延ばし、京浜電鉄と相互乗り入れを開始。さらに神中鉄道(現・相模鉄道)が1933年に横浜駅まで線路を延ばしている。
一か所に多くの鉄道会社・路線が集約されたのは便利なことだが、鉄道会社ごと、路線ごとに工事が発生するため、それが「いつも工事をしている横浜駅」という印象を強くしている。
