中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

人と違うキャリアが成功のカギ 私が歩んだ「傍流キャリア」の道

 たとえば、かつて就職活動において日本最強だった東大生は1960年代、当時は花形職種だった繊維業界をこぞって希望したと聞きます。最近の東大生はコンサルや外資系金融、起業などを選んでいるようですが、「東大生が選ぶ業種は選んではいけない」みたいな論さえ2000年代に入ってから出たほどです。

 私の場合、傍流の人生を歩み続けてきたのですが、今では「これで良かったな」と思っています。大学時代、周囲は商社と銀行に行くのが「勝ち組」への道だと捉えられていましたが、広告会社の博報堂に入りました。まあ、そうはいっても就職人気も高い会社だけに、ここまではメインストリームのように思えるかもしれませんが、同社を4年で辞めた後は無職を経てフリーライターになりました。

 すると、ライター業界で仕事がガンガン来るんですよ! 「博報堂を辞めたライターなんて見たことがない!」と。電通や博報堂を辞めた人はコピーライターやクリエイティブブティックと呼ばれる職種に就くことが多いのですが、まさかの「フリーライター」です。当時のフリーライター業界は、暴れん坊将軍みたいな“何者かわからない”連中が集う状況だっただけに、発注主たる出版社からすれば「会社員経験があるライター」ということで仕事が次々と来たのです。

 この時は「能力関係なく単に会社員経験があるだけでなんでこんなに優遇されるの!?」とギョーテンしたのですが、結果的に全国のサブカル好きの憧れの存在だった雑誌『テレビブロス』の編集職にまんまと潜り込むことができたのでした。それもすべて「会社員経験があるフリーライター」ということだけが理由だと思っています。

 その後、ニュースの業界においては新聞・テレビ・雑誌・ラジオといった「オールドメディア」が席巻していたものの、初期のネットニュースの編集に携わることにより、「この人はネットのニュースの編集に長けている」という評判を獲得することができ、雑誌社から「我が社の紙メディアのコンテンツをネットニュースに転換する仕事をやってもらえますか?」というオファーをいただき、10年が経過してしまいました。

 そういった経験を経た今、色々なオファーはいただいておりますが、「傍流の仕事をやり続けた」ということが、結果的に「普通の人ではない」という評判を呼び、仕事につながっているような気がしてなりません。よって、「希望の仕事ができていない……。本当は私はもっとメジャーなことをやっているはずだった……」と嘆く方は、「このジャンルはいずれ隆盛となる! そこの下地を今私は作っている!」と思い、今の仕事を必死に頑張ってみてはいかがでしょうか。

 メインストリームと異なる仕事、実は将来的な金脈につながる可能性がありますよ。

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