「リクルートでいちばん学んだのは、変化することの大切さ」と宮内純枝氏は振り返る
日本のスタートアップ企業の“草分け”ともいえる「リクルート」は、1960年に資本金たったの60万円で創業した。いまリクルートホールディングスの時価総額は12兆円超(2025年11月末時点)、社員数は全世界で5万人の巨大企業になった。36歳のときに1000億円で米インディード社を買収し、世界で月3億5000万人が利用する“求人のGoogle”に育て上げた出木場久征現社長兼CEO(49)は「自分の成功パターンで判断するようになり、老害になっているのではないか」(日経新聞2024年4月20日)と、50歳を前に早くも後身に道を譲ろうとしている。
向こう見ずな若手に挑戦する機会を与える――そんなリクルートの活発な新陳代謝から飛び出した「元リク」女性の一人が、大阪・関西万博で「空飛ぶクルマ」を飛ばし話題になった「スカイドライブ」の創業メンバー、宮内純枝氏だ。『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』の著者で ジャーナリストの大西康之氏が宮内氏に、これまで語られることになかったリクルートの内側を聞いた。【インタビュー・前後編の前編】
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――宮内さんは1992年にリクルートに入社されて26年間働き、2018年にスカイドライブの創業に加わったんですね。そもそもリクルートを選んだ理由は何ですか。
宮内:私は上智短大にいたんですが、友だちに「女性が活躍できる会社があるよ」と聞いて面接に行って、波長が合ったんでそのまま入社しちゃいました。自然体で入れる会社がいいな、と思っていたので。
――配属は希望どおりでしたか。
宮内:そうですね。リクルートのテレビCMが好きだったんです。宣伝に関わりたいと思いマーケティング部署を希望し配属となりました。担当は情報誌の宣伝でなく、情報誌の販促で、書店さんとのお付き合いが大事だったので、新橋の文教堂さんで新人研修を受けた記憶があります。
チアリーディング部に所属
――リクルートというと、バリバリの営業のイメージがあります。
宮内:私の感覚ではマーケティング局は営業ほどガツガツしていませんでしたね。どういう特集がどのエリアで売れるかとか、配本システムをどう最適化するとか、分厚い情報誌をどうやってスペースの小さいコンビニさんに置いてもらうかとか、そういう仕事です。
一日、楽しく雑誌に触れる仕事をして、夜7時になるとG8(銀座8丁目にあった当時のリクルート本社ビル)の11階にある全体会議室に上がって、チアリーダーの練習をするんです。
――チアリーダーだったんですか!
宮内:はい。入社した頃、リクルートは「シーガルス」というアメリカンフットボールのチームを持っていて、東京ドームの試合を観に行ったら、やりたくなっちゃって。
――リクルートには、金哲彦さんが立ち上げた陸上競技部とか、藤原和博さんたちがやっていたバンドとか、独特の「部活文化」がありますね。それも、めちゃくちゃ真剣にやる。
宮内:「激しい趣味」と言いますか。燃えてましたよ。仕事が忙しい時期には夜7時から2時間半中抜けさせてもらって、9時半に仕事に戻ることもありました。
――それが許される企業文化ですよね。成果を出していれば、趣味で何をやろうがかまわない。世界的なアウトドア用品メーカー、パタゴニアの創業者、イヴォン・シュイナード氏は「いい波が来たら、真っ昼間でもサーフボードを抱えて乗りに行く。ふだんからちゃんと仕事して、しっかりコミュニケーションを取っていれば『行ってらっしゃい』と送り出してもらえる。それが『理想の職場』だ」と言っています。
宮内:それほどカッコ良くはないし、仕組み化されているわけでもないんですが、リクルートには趣味で頑張っている人が否定されない文化はあったと思います。もちろん仕事はちゃんとやるんですが、「部活に熱心な進学校」みたいな。文化祭の前日にやたら盛り上がるタイプの人たちが多かった。
私がリクルートでいちばん学んだのは、変化することの大切さです。紙の情報誌からネットへとか、変化に対応していく人がいちばん強い。働き方そのものも変化していますから、昔のリクルートの猛烈ぶりばかり強調するのも、違う気がします。
