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【森村誠一さんと歩んだ60年】妻が語る国民的ベストセラー作家の素顔、長者番付1位でも団地で暮らしていた理由

森村誠一さんと62年連れ添った妻・千鶴子さん

森村誠一さんと62年連れ添った妻・千鶴子さん(撮影/菅井淳子)

外国人記者が驚いた3DK分譲団地暮らし

 300万円のローンを組み、神奈川県厚木市にある3DKの分譲団地に居を構えたが、ほどなく森村さんはホテルマンを辞めて専業作家となる。千鶴子さんも森村さんの希望で専業主婦となった。

「嫌々サラリーマンをやるよりも、好きなことをして生き生きしている方がいい」と千鶴子さんは背中を押したが、最初のヒット作『新幹線殺人事件』(1970年)が出るまでの数年間はやりくりに苦労したこともあったという。

「1か月に使えるお金はいくらかしら?と頭を悩ませたことは数回ではありません。作家として軌道に乗った後も厚木の団地には長く住んでいました。主人が『寝床から大山が見える』と気に入っていたんです。そのうちご近所が引っ越すたびに『仕事場にどうですか?』『客間にどう?』と部屋を譲ってくださるものだから、最終的には3軒並んだ3DKに住んでいました(笑い)。

 ただ、外国人の記者が取材にいらしたときは、『どうしてここに住んでいるんですか?』と目を丸くしていました。海外のかたから見れば、小さくて狭い家に見えたのでしょうね」

「読んでから見るか、見てから読むか」のキャッチフレーズで映画とともに人気を博した『人間の証明』をはじめとする“証明シリーズ”を筆頭に、森村さんは長者番付の作家部門で2年連続で1位を獲得するほどベストセラーを連発していたのだから、記者が驚くのは無理もないだろう。

「もちろん“一軒家に住んでみたいな”と思ったこともあるけれど、ご近所に恵まれていたので団地生活が気に入っていたんです。特に“ここに住んでいてよかった”と思ったのは、731部隊の人体実験を告発した『悪魔の飽食』(1981年出版)の中に写真の誤用が見つかったときですね。

 連日街宣車が来て『国賊・森村誠一は日本から出ていけ!』って怒鳴るんです。窓に石を投げられたこともありました。迷惑をかけている近隣のみなさんに申し訳なくて小さくなっていたんですが、近所の奥さんたちが『買い物に行けないでしょうから買ってきてあげる』と、交代でお買い物してくださった。あのときは本当に助かりましたし、お気遣いが身に染みました」

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