知っているはずのことが思い出せない
私の外来には、専門的な知識を持って活躍している人が来院することがあります。その来院理由は、「認知症になったのではないかと心配になったから」というものです。
ある日に来院されたCさんの例を見てみましょう。
コンサルタントとして働くCさんは、クライアント企業での説明中に異変に気づきました。事前に用意していた解決策のレポートを持って面談に臨み、最初は軽快に話していました。一通り話し終えたところで、相手からいくつか質問されます。質問の内容は簡単でした。自分が得意とする分野だったからです。
余裕を持って説明しようとしたCさんに、異変が起こりました。
「用語が出てこない」
専門職として知っていて当たり前の用語なのに、それが出てこないことにCさんは焦り、頭が真っ白になったと言います。その場は、ど忘れした用語を使わずに、回りくどくなりつつも何とか説明をし終えました。
このときは「少し疲れているのかな」と思ったCさんでしたが、その日をきっかけに、同様のことが次々と起こり、不安になったということです。
なぜ、優秀な専門家が、得意な分野の知識をど忘れしてしまったのか?
その理由が、多忙感によるワーキングメモリの機能不全です。Cさんの相談は、珍しい例ではありません。活躍している人ほど、同じような相談を持ち掛けてくれます。
多忙感3大症状【2】「ボーっとする」
大事な場面で冷や汗をかくのが「物忘れ」なら、自分の仕事ぶりに冷や汗をかくのが「ボーっとしていた」ことでしょう。
「話を聞いていたはずが、なにも思い出せない」
「作業時間が終わっても、何も進んでいなかった」
これに関係するのが、脳の中の2つのネットワークです。
・セントラルエグゼクティブネットワーク:集中しているときに働く。情報収集の役割を担う
・デフォルトモードネットワーク:ぼんやりしているときに働く。情報整理の役割を担う
2つのネットワークはどちらか一方しか働かず、一方が働けばもう一方は働きません。望ましいのは、集中したら休憩する、という具合で2つのネットワークが交互に働くことです。これを繰り返すと、学習したことが次の作業に反映され、作業が上達したり考えが深まったりします。
しかし多忙感によってセントラルエグゼクティブネットワークが攻撃を受けて停止すると、集中すべきときでも強制的にデフォルトモードネットワークが働いてしまいます。すると、会話を聞いているはずが聞き逃したり、パソコンの画面やテキストを読んでいても、思考があちこちに飛び、内容が頭に入ってこなくなったりしてしまうのです。
うっかりミスをしてしまう
重要な場面で大きなミスをしてしまったDさんの例を見てみましょう。
Dさんは、エンジニアとして現場の作業員のサポートをしています。作業員から連絡があると、必要な情報を調べて作業員の端末に送る。危険な現場にいる作業員の安全を守る大切な役割です。
あるときDさんは、作業員から無線で建物の「見取り図」を送ってほしいと連絡を受けました。
「了解しました」と返事をしたDさんでしたが、なぜかボーっと違うことを考えてしまい、作業員に再び呼ばれたときに「すみません。取り扱い説明書ですね。今送ります」と答えてしまったそうです。
「見取り図が欲しい」という話は聞いていたし、資料データの準備をしようともしていた。まして居眠りをしていたわけではないのに、的外れな回答をしてしまった。
これはDさんの性格や怠慢の問題ではありません。脳が、デフォルトモードネットワークに切り替わってしまったことが、うっかりミスの原因です。
このように、脳のネットワークはまったく無自覚に切り替わります。私たち人間は、この現象には逆らえません。できることは、根本原因である多忙感を打ち消すことです。