キャリア

元『¥マネーの虎』南原竜樹さん 年商100億円社長が45歳でホームレスに転落、どん底からの復活劇

2002年、TVRのディーラー権を取得(本人提供)

2002年、TVRのディーラー権を取得(本人提供)

 およそ2年をかけて借金を返済し終えた時、南原さんはすべての資産を失っていた。

「一時は住む家がなくなり、六本木ヒルズの公園のベンチで寝ていたら警備員に追い出されました。麻布十番のバス停のベンチでも寝ましたね。銀行のATMで最後に残った預金5万6800円を引き出し、“これで本当に一文無しだ……”と思いながら1日1食、50円のカレーパンで食いつないだ。運転が好きだからバスの運転手でもやろうかと五反田の駅で求人誌を買ってバス会社に電話したら、年齢制限に引っかかるからと門前払い。僕の年齢でできる仕事は、警備員かタクシーの運転手くらいでした」

 当時の南原さんは45歳。まだまだ老け込む年齢ではなかったが、年商100億円からどん底まで落ちた「負け組」に世間の風はどこまでも冷たかった。

「ヘッドハンティングの会社の人から『南原さんにいいポジションがあります』と声がかかって期待していたら、一向に結果を教えてくれない。痺れを切らして問い合わせると、『こんな奴が来たら部長のおれがクビになる』『社長より威張っているからダメ』などと反対されて不採用になったと告げられました(苦笑)。銀行に融資をお願いしても『売上がないから貸せない』と即断わられて、手の平を返して離れていく仕事仲間もたくさんいました」

 一方で、手を差し伸べてくれる人もいた。中でもありがたかったのは、旧知の社長が会社の空きスペースの提供を申し出てくれたことだ。すべてを失った南原さんは、間借りしたオフィスで「過去の成功にとらわれず、心を入れ替えて再出発する」ことを心に誓った。

「それまで自動車販売以外は絶対やらないと決めていたけど、考えを改めて何でもやっていこうと決めました。まずは資本金がなくてもできる事業は何だろうと考え、不動産業を思いついた。不動産業は右から左に物件を売るだけで3%や6%の手数料が取れる、言ってみれば口だけでできるビジネスです。ビギナーズラックもあったかもしれないけど、不動産と同じスキームでできる人材派遣やM&Aの仲介も始めてみると、億単位の儲けが出ました」

 こうして得た資金を元手に沖縄のレンタカー店を買収し、出版業や飲食業など様々な事業を展開した。すると、復活を知った昔の社員たちも戻ってきて、ますます勢いづいた。

「再出発してからいろんなことがいい方向に回りました。家賃250万円のリッツカールトンレジデンスのペントハウスに住み、ホームパーティーを開いて様々な業種の人を呼び、そこで築いた人脈が会社の買収やM&Aの仲介に結びついて業績がさらに伸び、2015年にはグループ全体の年商が100億円を突破しました」

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