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日本HP社長 外資系PCメーカーがこだわる「MADE IN TOKYO」戦略

日本HPが見据えるこれからのPC販売戦略とは?(写真は岡隆史社長)

日本HPが見据えるこれからのPC販売戦略とは?(写真は岡隆史社長)

 テレワーク普及を追い風に、パソコン販売が伸びている。2019年に外資系PCメーカーとして初めて国内ブランド別シェアでトップに立った日本HPの岡隆史社長(62)に好調の理由を訊いた。

──平成元年(1989年)当時は何をされていましたか。

岡:当時は富士通に在籍していました。1982年の大学卒業後に東京リコーに就職し、1986年に転職しました。企業の基幹業務用などに使用される「メインフレーム」と呼ばれる大型コンピュータの営業をやりたかったからです。

 しかし、当時の富士通は個人がパーソナルコンピューター(以下、PC)を所有する時代が来ると読んで、そちらに注力していた。それで私もPCのマーケティング担当となりました。

 1989年は、富士通が「FM TOWNS」という高性能PCを発売した年。プロジェクトメンバーとして必死に販促をかけましたね。

 当時、PCの分野ではNECが圧倒的に強く、「巨人」と呼ばれていた時代。「NECに追いつき、追い越せ」という大号令のもと、職場はいつも活気に満ちていた。広告・宣伝やイベント、セミナー開催など様々な販促活動を担当しました。

──1992年には、米大手PCメーカー・コンパックの日本法人に移籍する。

岡:当時の日本コンパックはまだ小さな会社で、そこに魅力を感じました。富士通のような巨大組織で決められた役割をこなしていくのもいいですが、自分のやりたいことを自由にできるのではないかと感じたんです。

 実際、コンパックに転職してみると、PCビジネスの経験があるのは私ひとり。ほとんどは異分野からの転職組でした。ですから、それまでの慣例にこだわらず、自由に仕事ができました。

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