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孫正義氏の膨らむ志「10兆円じゃ全然足らん。俺は100兆円を動かす」

「事業家として大成功すること」が孫正義氏の志となり、その志は際限なく膨らんでいく(1999年撮影/時事通信フォト)

「事業家として大成功すること」が孫正義氏の志となり、その志は際限なく膨らんでいく(1999年撮影/時事通信フォト)

【最後の海賊・連載最終回・後編】日本を代表する起業家の楽天・三木谷浩史とソフトバンクの孫正義、その「生まれ」と「育ち」は全く異なる。金融学の泰斗の次男坊として何不自由なく育った三木谷氏と、在日韓国人3世として生まれ、佐賀県の線路脇の“無番地”で育った孫氏。日本経済の命運を握る“最後の海賊”を生んだ原点とは? ここでは孫正義氏のビジネスの考え方について、週刊ポスト短期集中連載「最後の海賊」、ジャーナリスト・大西康之氏がレポートする。(文中敬称略)

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 5月12日、4兆9900億円という日本企業として過去最高の最終利益を叩き出した2021年3月期のソフトバンクグループの決算説明会。孫正義のプレゼンテーションは一枚の古ぼけた踏切の写真から始まった。

「16歳でアメリカに渡った私が、日本に戻って最初に起業したのは、東京ではなく福岡県の雑餉隈という所でした。初めて構えた事務所近くの踏切を通る時、カンカンという警報機の音と自分の胸の鼓動の高まりが重なり、二人の社員の前で『いつかは売上も利益も豆腐のように1丁(兆)、2丁と数えるようになる』と演説したら、二人とも辞めてしまいました」

 その会社がついに日本一の純利益5兆円を稼ぎ出した。それでも孫は満足していない。

「踏切の向こうには夢がある。まだ踏切を渡り切れていない。まだまだこの物語は続く。お金はただの道具です。我々にとって一番大事なのは、情報革命で人々を幸せにしたいという志です」

 孫はそうプレゼンを締めくくった。三木谷とは対照的に孫には強烈なコンプレックスがある。2010年6月、株主総会後に開いた「ソフトバンク新30年ビジョン発表会」のプレゼンで、孫はその一端を明かした。

「見慣れないおばちゃんの写真。私の大切なおばあちゃんです。14歳で韓国から日本に嫁いできました。途中で戦争も体験して、生きていくのがやっと。7人の子供を飢えから守って。私の父も、もう中学生の頃から働いて家族を支えました。闇の焼酎を作って豚を育てて。私の戸籍は佐賀県鳥栖市五間道路無番地って書いてあります。不法住居です」

「父も母も一生懸命、働いていて私の子守りはおばあちゃんです。そのおばあちゃんが『正義、散歩行くぞ』。散歩というとリアカーなんですね。言いたくないけど、黒っぽくてぬるぬるして滑る。ドラム缶を半分に切ったものが3つか4つ。鳥栖駅前の食堂を回って豚の餌になる残飯をもらうんです。ちっちゃいから分からない。リアカーに乗るのが楽しくて、おばあちゃん大好きでした」

「でもある時から、そのおばあちゃんが大嫌いになった。おばあちゃんイコール、キムチ。キムチは韓国。その頃は、生きていくのに辛いことがたくさんあって。息を潜めるように隠れるように日本名で生きていて。それがコンプレックスになって、おばあちゃんを避けて通るようになってしまいました」

「その時、父親が吐血したんですね。家族の危機です。一番上の兄は高校を中退して家計を支える。私は決意をしたんです。事業家になろうと。事業家になって家族を支えようと。アメリカに行ってその種を掴んでこようと。中学生の時です。ちょうどその頃、『竜馬がゆく』を読んだんですね。人種だとかなんだとか、つまんないことで悩んでたこと自体が、ちっぽけな人間だったなあと。俺は立派な事業家になってみせて、孫正義の名前でみんな人間は一緒だと証明してみせる。心に誓ったんです」

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